「受け取ること」と「無駄なこと」と「レベルの低いお返し」の話

「うちにはお金が無い」と言われて育ってきたので、何か貰ったり受け取る時に、いつもものすごい罪悪感に襲われまくっていた。(ほんとは父かなりちゃんと稼いでたけど)罪悪感を感じたくないから、できるだけお返しとかして自分が罪悪感を感じないようにしていた。だから、パソコンとか家電とか何かを生み出すものや便利にしてくれるもの、生産性を上げてくれるものに対してお金を使っても、自分のために、非生産的なものにお金を使うのって今まであんまり無かった。できるだけ、コスパ良く生きようとしてた。いつも、自分のためじゃなくて、色んな「何か」のために。生産性高めることって結局誰かのために繋がるし。

 

でも、自分を何かのため、誰かのためにチューニングすればするほど、人のために生きれば生きるほど、楽しさが無くなって疲弊してく。最近、ちょっと前だったら「うわー無駄だなーでもやりたい」って思うことにがーっと時間もお金も使ってみた。「楽しさ」って、無駄なところにあるんだよな、って気付いた。

 

いつもちょっと辛いな、って思いながら使ってた菓子折りに消えてたお金、自分のために使ってみてはいかがでしょうか。いつも正直しんどい、って思いながらお返しに使ってたお金、自分のために使ってみてはいかがでしょうか。良い人ぶらずに自分の楽しみのために使う。自分を大事にすることで、毎日がもっと楽しくなるし、与えてくれる人も幸せになる。

 

誰かが何かくれるっていうのは、もともと余ってるんすよ。余ってるからくれるの。あんたごときのレベルのひっくいお返しとか迷惑なの。「お返しが無い!」て憤慨する人は、プライドも余裕も無い貧乏人なだけなのでこれから付き合ってもあまり良いことは無いでしょう…。

 

例えば、10円をものすごく貧乏な国の子供に寄付したとして、その貧乏な国の子供が、楽しむことに一切お金を使わず、死にそうな顔になって働きながら1円相当の「お返し」をしてくれたとしたら、嬉しい?その子が罪悪感感じずに超ハッピーに10円を受け取ってくれて、自分は「喜んでくれた♡いえーい♡」って思ってた方が、嬉しくない?10円で喜んでくれるなら、1円レベルのお返しなんかいらないからただ受け取ってほしいと思わない?ただ受け取ってもらって、「あーいーことしたなー」って幸せに浸りたい。「受け取ること」だって立派な役立つことだと思う。お返しとか気にせずちゃんと受け取って貰った方が嬉しいじゃん。「あーいーことしたなー」って思えるなんて、超気持ちいいじゃん。余裕がある人からはどんどんもらおう。ちなみに私は今余裕が無いからもっと欲しい。助けてくれ(クズ)

 

お返しを期待することや、お返しをしなければ、っていう考えは、みんなの幸せを邪魔する考え。無理してお返ししない。ちゃんと受け取る。余ったら誰かにあげる。で十分だと思う。